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進化の列車が来てる

(ゴメン ― 反対方向へ行ってるんだ)

筆者: カール・ウィーランド

混み合った講堂ロビーは、好奇な期待で にぎやかだった。 1970年代後半、サウスオーストラリア州、頭がクラクラするような、創造論運動の初期。 私がまさに参戦しようとしていた創造論/進化論討論会は、40名ほどの科学の教師たちが見守る中、有名な進化論者の大学教官を巻き込んでの、その地域では初めてのものだった。

活気のある会話が聞こえてきたので、私は自分の討論相手となる人物が私の左側、わずか数メートル先にいることに気づいた。 集団生物学上級講師(米国の用語では准教授)の彼は支持者のグループに熱弁を振るっている真っ最中で、明らかに彼の創造論の敵役が声の届く範囲にいるのに気づいていなかった。

「これには本当、イライラしてます!」彼が言うのが聞こえた。 「月から帰還して、球体の地球を見たのに、今、地球は平らだ、などと言ってる人と討論しなくちゃならない宇宙飛行士の気分ですよ。 私は仕事柄、目の前で進化が起こっているのを見てるんです。

当時はまだ、創造論者の論拠が広く知れ渡る前のことで、彼があのように考えるのももっともだった。 生物学の教師たちがあれほど無邪気な信仰を継承させていたことも仕方がなかったのだろう。 さまざまな生物集団で容易に観測できる遺伝的変化が、「微生物から人間への進化」が事実だという明らかな証拠だ、と彼らは単純に思い込んだのだ。 ただ十分な時間を掛けさえすれば、ジャジャーン! そういう「ミクロ」変化が、自然選択によって継続的にろ過・誘導されながら蓄積するだろう、と。 それらの「小さな一歩」が積み上げ続けられて、「マクロ」変化 ― 蛙から王子へ、魚から哲学者へ、といったたぐいの超大ジャンプ ― をもたらすのを期待するのは明白で論理的に思えたのだ(本稿で後述するように、正反対が真実なのだが)。

そのことを考慮すれば、この生物学講師の困惑と苛立ちは容易に理解できる。 というのは、彼は、いずれ相当に変化するものの微小な変化をたびたび見ていると思っていたからだ。 ほとんどの進化論者が、今もなお、このように考えていることを、私たちは理解する必要がある。 これが、率直にいって、生物学的変化の論題で相手に迫られる時、聖書を信じるほとんどの者のいつもの答が不十分な理由だ。

たとえば、相手はこう言うかも知れない、「蚊はたった40年でDDT耐性を獲得して進化した。 それをわれわれの目前で起こっている進化と言わずして、何を進化と言うのか?」 ほとんどのクリスチャンの応答は変化のに向けられる。 たとえば、こう言う、「なるほど、でもそれはただ同一種類内の変種だ」。 またはこう返答する、「でも依然、蚊は蚊のままじゃないか。 ほかの何かに変わったわけじゃない」。

これらの返答は両方とも真実だ。 しかし、答としては不十分で相手にあまり感銘を与えていない。 相手はこう考える、「まあ、それはクリスチャンのただの卑怯な逃げだね。 進化は何百万年もかかるんだ、たった40年でこんなに変化したんだから、百万年経ったらどんな変化があるか想像しなさいよ!」

私がこれを説明する際に講演で長年使っている類推は、列車だ。 想像してほしい、あなたは列車が駅、たとえばフロリダ州マイアミから北、シカゴへ向けて出て行くのを見ている。1 あなたが見ている列車の走行距離はほんのわずか数百メートル。 だが、十分な時間を掛ければ列車はシカゴに到着するとあなたは合理的に仮定できる。 列車が旅の全行程を走破することが原則として可能なことを示すしっかりした証拠をあなたは見た、全行程を走破するのを見届ける必要はない。 これが、進化論者が私たちのまわりで起こっている小さな変化(しばしば「ミクロ進化」とよばれるが、下端参照)をどう見ているかなのだ。 もし、蚊が40年で少し変化したら、象に変わるまで見る必要はない ― 小さな変化は、蚊が象に変わるほどの過激な旅路をたどることが原則としてできることを示した、と。

私たちが意識する必要があり、私たちの答で集中すべきこととは何か。 私が聴衆に話すのは、 変化の量ではなく、変化のタイプ方向だ。 その列車は十分な距離を走っていないばかりか、逆方向へ向かっている。 今日観察される変化の類は、進化論内で説明可能とはいえ、進化論者が彼らの信念システムにいくらかの、うわべの信ぴょう性を与えるために本当に必要なものとは、実際、正反対のものだ。 これについては後述する。

それで、あなたがその列車がマイアミで駅から出て行くのを見ている間、もしそれが本当は北、シカゴへ向かっているのではなく、方向の、下方向へ向かっているのなら、線路(あればだが)は青い海深くで終わるだろう、そうなったら決してシカゴへは着かない。 時間はこの問題を解決しやしない、なぜなら、下方向への列車でシカゴへ到達するのは原則として不可能だから。 したがって、いったん「進化の列車」(実際は生物学上の変化の列車)は上方向ではなく下方向へ向かっていることを人々に指摘することができれば、あとは時間が経過すればするほど、進化のシナリオ丸ごとがますますありそうにないものとなる。

生物学上の変化に「方向」があるとはどういう意味かを説明する前に、何が本稿を書くきっかけとなったのか分かち合いたい。 それはシカゴ大学の有名な進化論生物学者、ジェリー・コイン博士による、ある本のレビュー2だった(彼は創造論者に向かって暴言を吐く機会を見過ごすことができなかった3)。 驚くことに、コイン自身が列車の旅の類推を用いていて、この問題を進化論者がどう考えているかという私の要点を裏づけている。 彼の目的は創造論者をからかうことなのだが、彼は知らず知らず、このよくある推論がどれほど筋違いかを示す絶好の機会を提供している。

彼がレビューしていたその本4では人々に「微生物から人間への進化」という、より大きな考えに「納得」してもらうために、人為的原因による急激な生物学上の変化の馴染みの事例が用いられている(細菌の抗生物質耐性、虫の殺虫剤耐性、乱獲による魚の成長率の変化)。

コインは、それらの事例は創造論主張者の考えをたぶん変えはしない、彼らはそのような変化は「種内の適応」(「同一種類内の変種」のほうがもっと正確だった)としてすでに受け入れている、という事実を嘆き悲しんでいる。 彼は、創造論者は「そんな小さい変化は動植物の新しいグループの進化の説明になりえない」と議論する、と言い、続けて:「その議論は常識に反する。 クリスマスの訪問の後、私たち[どうもシカゴにいる彼の家族らしい―筆者付記]が、おばあちゃんがマイアミ行きの列車に乗って去るのを見るとき、私たちは彼女の旅の残りはあの四分の一マイルの旅の外挿だと想像する。」という。 したがって、コインに言わせれば、「ミクロからマクロの進化へ外挿しようとしない創造論者」が「不合理」なのである。

正論 対 修辞

今日観測できる生物学上の変化(人為的なものや、そうでないもの)について、私たちが列車は進化とは逆の方向に向かっていると、自信を持って言えるのはなぜか? 進化論者がこの「おばあちゃんの列車」外挿理論を使うとき、私たちがそれを転じて逆のことを論ずるのに使えるのはなぜか? その理由は、生物学上の変化における本当の論点は、DNAレベルで起こっていることで、情報5にかかわることだからだ。 遺伝分子DNAで運ばれている情報はレシピ、ある物を製造するための一式の指示書のようなものだ。

進化論者が教えているのは、単細胞生物6(例:原生動物)から、ペリカン、ザクロの木、人々とポニーが発生した。 それを実現するには、そのDNA「レシピ」には、その「数百万年」とされている期間に、情報量の膨大な純増がなければならなかった。 単細胞生物はポニーに必要である目、耳、血液、肌、ひづめ、脳などを製造するための指示を持っていない。 したがって、原生動物からポニーが生じえるには、新しい情報をもたらすなんらかの仕組みがなくてはならない。

進化論者は自然選択を、創造の女神であるかのように持てはやすが、事実(彼らが迫られると必ず認めるものだが)は、選択自体は常に、情報を除去することで、その逆は決して起こらない。7 情報を盛り込める方法として、進化論の熱心な信奉者のための唯一の希望は、遺伝子の偶然なミスコピー、つまり、偶然な突然変異である(さらにそれらが選択で選ばれる)。8 しかし、問題なのは、もし突然変異が進化に必要な情報を盛り込むことができるなら、私たちのまわりに、何百もの実例が見出せるはずである(何千もの突然変異が絶え間なく起こっていることを考慮すると)。 しかし、突然変異を研究するたびに、結局のところ常に、情報は失われ、衰えたことがわかっている。 突然変異の欠陥が生き残りに有利である、というまれな場合もこの例外ではない(例:風の強い島で甲虫が翅を失うこと)。9

その用語はどうだろう? ミクロ 対 マクロ

多くの創造論者は「われわれはミクロ進化は認めるが、マクロ進化は認めない」という。 本文が指摘するとおり、「ミクロ」変化(すなわち、観測された遺伝的ばらつき)は、いずれにせよ、蓄積してマクロのものに達することはできない。

でも、私たちは「ミクロ進化」という用語を使わないことを提案する。 そのほうが賢明だ。 なぜなら、ほとんどの人には、「微小の進化」(つまり、十分な時間さえあれば、微生物をヤスデ、モクレン、微生物学者に変えるという進化)が起こっていることをしぶしぶ認めているかのように聞こえてしまう。 したがって、彼らにしてみれば、あなたは「ミクロ」と「マクロ」の間に勝手な区別をつけているのだから、けち、あるいはコイン博士の逆さの「列車」の例にあるように不合理だと見られることになる。

もし、このような潜在的にまぎらわしい用語の使用が避けられないなら、必ず、「ミクロ進化」としばしばレッテルを貼られている変化は、仮定上の「ベトベト⇒ヒト」信仰と同じプロセスではありえないと指摘する機会としてほしい。 それらの変化はみな、情報を失うプロセスである。 つまり、情報は最初からなくてはならないものだ。

生物は多様化するにつれ、遺伝子プールはますます狭くなる。 有機体は選択によって環境に適応すればするほど(彼らがより特殊化すればするほど)、彼らの種類のために創造時に貯えられていた情報のうち、彼らが持ち続けている分は小さくなる。 つまり、将来、環境変化があった場合、集団が「再適応」できるために自然選択が作用できる情報は少なくなる。 よりフレキシビリティーに欠け、より適応性が低くなった集団は進化しているのではなく、明らかに絶滅の方向へ近づいている。

マイアミから発車し南に向かっている列車とちょうど同じように、今日見ている変化を時間的に外挿すれば、進化の前進ではなく、絶滅に至る。

覚えておいてほしい: 進化論的信仰が教えているのは、昔々、生き物が有った、でも肺は無かった ― 肺はまだ進化していなかった、そう、肺を製造するためのDNA情報コードは無かった。 ともかく、このプログラムは書かれなければならなかった。 以前はどこにも存在していなかった新しい情報は現れなければならなかった。

後になって、肺は有った。 でも世界のどこにも羽は無かった。 つまり、羽のための遺伝情報は無かった。 現実の世界の観測が圧倒的に示しているのは、突然変異は必要な新しい情報をシステムへ供給することはまったくできないということ。10 実際、突然変異は、有害な突然変異という形で遺伝的負荷を加え、全般的に下りの傾向を早めている。 私たち人間も、祖先から受け継いだ蓄積された何百もの有害な突然変異を持っている。11

言い換えれば、集団はDNA「レシピ」内にたくさんの情報(多様性)を持っているので、変化や適応ができる。 しかし、突然変異が新しい情報を供給することができない限り、変種/適応 が起こるたびに、情報の総量は減る(選択はその集団のうち、適さない個体を除去するので、情報の一部はその集団から失われる)。 したがって、一定量の情報という条件のもとでは、適応が多くなればなるほど、将来の適応の可能性は低くなる。 列車は明らかに下り坂を走っていて、絶滅という桟橋から落ちるよう運命づけられている。

最高の皮肉は、コイン博士によって「進化」として称賛されたすべての事例は、抗生物質耐性12だろうが魚の成長率の変化だろうが、一つたりとも彼の「列車」類推を裏づけておらず、むしろ逆を裏づけていることだ。 一つとして情報の増加に伴うものはない。 すべてが逆、純減を示している。 これらすべてを熟考し、私は私の進化論者の討論相手があの当時吹聴していたのと、ある種同様の欲求不満(ただ方向が逆)を感じている。 彼は、換言すれば、このように感じていたのだ:「なぜ彼らには見えないのか? 明白じゃないか」。

もしかすると、何かの拍子に、コイン博士が本稿を手に入れることがないともいえない。 次回、彼やほかの進化論弁護者が祖母を駅のホームで見送るとき、本稿が再考の一助ともなればと、心から願うものである。

参考文献・備考

  1. もちろん、私は普通は、オーストラリアの都市を例として使うが、これらのほうが世界中の読者にもっと認識され、また、後述の進化論者コイン博士の言葉ともぴったり合う。本文に戻る.
  2. Nature 412(6847):587-588 2001年8月9日。 本文に戻る.
  3. コイン博士は私たちのオオシモフリエダシャク詐欺についての記事(Creation 21(3):56, 1999)に引用された。 彼は、われわれ[進化論者]の厩舎の、この「優勝馬」を放り出さなければならないとわかったとき、サンタクロースは実在しないと知ったときと同じ気持ちになった、と言った。本文に戻る.
  4. Palumbi, S.R., The Evolution Explosion: How Humans Cause Rapid Evolutionary Change, W.W. Norton, New York, 2001. 本文に戻る.
  5. 文書やDNAが運んでいる種類の情報を指す別の用語は「特定された複雑性(specified complexity)」。 参照: Thaxton, C.B., Bradley, W.L. and Olsen, R.L., The Mystery of Life’s Origin, chapter 8, Lewis and Stanley, Dallas, Texas, 1984. 本文に戻る.
  6. 既知の「最も単純な」生命体さえ膨大な情報量(50万超「文字」分に相当する)を持っている。本文に戻る.
  7. Wieland, C., Muddy waters, Creation 23(3):26-29, 2001. 本文に戻る.
  8. 交配はただ既存の情報の2セットを組み合わせることであり、また、染色体重複(例:倍数性)は新しい情報を創り出さない。本文に戻る.
  9. Wieland, C., Beetle bloopers, Creation 19(3):30, 1997. 本文に戻る.
  10. Spetner, L.M., Not by chance!, The Judaica Press Inc., New York, 1997. 本文に戻る.
  11. これらの突然変異の多くは、両親から同じ箇所の突然変異を受け継ぐ場合のみ、有害である。 今日、近親結婚から奇形児が生じるおそれがあるのはこのためである。 それは、別の箇所の突然変異を持つ、もっと遠い親戚(人間はみんな親戚)との結婚よりも、同じ箇所の突然変異を受け継ぐ確率が高くなるから。 しかし、歴史をさかのぼればさかのぼるほど突然変異が遺伝子に蓄積した累計時間は短くなり、これは要するに、近親結婚でこのような問題が起こらなかった時期があったことを示している。(Batten, D. Ed., The Creation Answers Book, Brisbane, Australia, ‘Cain’s wife—who was she?’, chapter 8, 1999) (日本語版: 『創造』の疑問に答える、「カインの妻はだれか?」第8章) 本文に戻る.
  12. Wieland, C., Superbugs—not super after all, Creation 20(1):10–13, 1997. 本文に戻る.